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チャレンジストーリー
浜崎孝幸(はまさきたかゆき)さん
複数の不整脈を診断され、意欲的に治療に立ち向かわれた浜崎さんのチャレンジストーリをご紹介いたします。 浜崎孝幸さんは現在72歳でいらっしゃいます。
22歳から57歳まである放送会社に、それ以降の69歳までは有料放送セキュリティセンターにエンジニアとしてお勤めされました。 優れた才能をお持ちで、ハイビジョン、衛星放送等の研究開発のほか、有料放送セキュリティシステムの開発・運用をご担当されたそうです。 また、茨城県の筑波宇宙センターで実験用衛星放送を管理され、実際に打ち上げをご経験されたそうです。

その浜崎さんからはじめて不整脈が見つかったのは2004年のことで、東京の赤坂で診察を受けられ当時の主治医から「大きな病院で診てもらった方がいいかもしれない。」との助言から近くの心臓血管研究所付属病院にかかられました。元々心臓の基礎疾患は何もなかったようですが、60歳くらいから不整脈の兆候はあったそうです。

心臓血管研究所付属病院では、主治医にカテーテルアブレーションの説明を受け、治療を申し出て待機していたところに、不整脈治療でも名高い筑波大学附属病院をご紹介され、翌年入院されました。不整脈は心室頻拍と診断されました。
筑波大学附属病院では侵襲度の低い、不整脈を根治する画期的なカテーテルアブレーションという手術方法をご紹介され、浜崎さんはこの手術を決意されました。

カテーテルアブレーションはカテーテルの先端で熱を発生させているのではなく、高周波で通電することにより不整脈の原因となっている箇所の心筋自身が熱を持ち、凝固してダメージを与えるというものです。2005年1月に心室頻拍のカテーテルアブレーション治療を受けられました。
その後、別の不整脈である心房粗動が発見され、2005年4月に心房粗動に対して治療を実施され、心房粗動に関しても治療が完了しました。心室頻拍と心房粗動に対する治療によって病気は根治されました。
不整脈の一つである心房細動もお持ちであるとその後の診察でわかったのが2005年6月ごろ。これに対しても「カテーテルアブレーション治療を」と筑波大学附属病院で薦められましたが、右心房と左心房を隔てる『卵円窩』を穿刺する(小さな穴を開けること)と聞かされ、このときはカテーテルアブレーション治療を断念されました。
その後、2005年8月に退職され、翌2006年2月に心房細動のカテーテルアブレーション治療されることを決意されまして、治療は成功されました。治療後、浜崎さんは心房細動が根治されてお体の調子が非常によくなられたそうです。心房細動はしばらく放っておかれがちな頻拍ですがこれは間違いで、大きな血栓が心臓から脳に流れてしまい血管の塞栓から脳梗塞を発生させてしまうことがあります。また、心房細動は他の不整脈に起因することも考えられますので、浜崎さんは良いご選択をされたのではないでしょうか?

以前は駅から会社までの300mの坂を上るのが非常にお辛かったそうですが、現在はすいすいと歩かれ、とても感動されています。近年格段にカテーテルアブレーション治療のメカニカル的な進化がみられ、とても感心されているというお話を伺いました。
浜崎さんは『私の場合、サクセスストーリーというよりも、チャレンジストーリーであると自分では思っています。病気は治療によって根治することもあり、軽減にとどまる場合もあります。また、治っても再発することもあります。ですから今日、根治というサクセスであったとしても明日のことはわかりません。チャレンジストーリーという方が自分では正確だと思っています。チャレンジしなければ治らないのです。』とおっしゃっておられます。

経過は順調で3ヶ月に1回程度の外来を受診されています。さらに、今後半年ほど不整脈の様子をみて問題ないようであれば海外旅行にも行きたいということです。
浜崎さんはとても多趣味でいらっしゃりパソコンスクール、シャッフルボードといわれるスポーツ(カーリングのようなスポーツ)や川崎の混声合唱団に所属されています。
とてもアクティブに活動されている浜崎さんから『不整脈で苦しんでいらっしゃる患者さんには、是非、カテーテルアブレーション治療を勧めたい』とお言葉をいただきました。